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第10ステージ: アタール→チジクジャ
リエゾン : 33 km + SS: 467 km +リエゾン : 2 km - Total : 502 km

 チジクシャはモト用手荷物輸送サービスがないから、栄養剤等を持って行く。コー
スは厳しいが、その割にスタート時間が遅いと思った。砂漠は夜の走行が大変なこと
ぐらい予想出来る。明るいうちにビバークに到着したい。SS中、CP燃料給油があるが、
そこまではずっと砂漠が続く。ガス欠が心配なので、予備ガソリンを用意した。何回
も転倒すると、ガソリンが流れてしまうので注意しなければ。SSスタート場所は昨日
と同じ。スタートから途中40kmぐらいまで昨日と同じコースだが、轍が増えて更に走
りづらくなっている。ガレ場+砂漠はバランスが難しい。CP1に到着したのは、12時
過ぎで思ったより長かった。
 暑い砂漠の中で転倒し、立ち上がるのは大変なので転倒しないコツをつかむ。深い
砂漠で走る時は400ccマシンはパワー不足だ! 3速で全開してもパワーが出ない。2
速にキープして走行していたが、燃料をその分食うので不安になる。650ccエンジン
の方がパワーがあるし、スピードが出るだろう。CP2までずっと深い砂漠なので慣れ
てきたが、キャメルグラスといわれる、砂地に草がいっぱい生えたところで、途中エ
ンジンが止まる。ガソリンはまだあるのに、何回キックしてもかからず、20分ぐらい
でエンジンがかかる。およそ1〜2時間のタイムロス。途中、ガソリンがなくなる。後
から来た人にガソリンをもらって、燃料給油があるCP2に到着した。
 ガソリンを満タンにしているうちに日が暮れてきた。夜の砂漠では四輪は問題なく、
走れるが、バイクはバランスをキープながら走行するので辛い!ビバークまで頑張る
ぞ!ある程度スピードを出しているとハンドルを取られ、転倒してしまった。エンジ
ンが止まるとライトが消えて真っ暗になる。後から来た車がこちらにぶつかる恐れが
あるので、早めに立ち上がらなければ。向こうにも少し砂丘越えがある。四輪の轍が
あって、スピードが出ないためハンドルが重くなる。ライトが暗くスピードが上がら
ない。登りの途中で、アクセルを全開した状態から戻らなくなってしまう。何とか戻
すが又、アクセルが戻らなくなる。チャレンジ75はビバークの時、ちゃんと整備して
いるのだろうか。

 真っ暗なので修理が大変だ。ヘッドライトを用意してきたが運悪く、ライトが明る
くならない。右側から来たカミオンが登り坂を登れずしばらく休んでいたので、カミ
オンまで歩き乾電池をもらう。感謝! キャブレターの中を見ようと思い、マシンの
タンクやシート等を外し、持参してきたプラスドライバーをネジに差し込んだがサイ
ズが合わず使えない。パリでチャレンジ75の人と一緒に買い物したが、失敗だったよ
うだ。
 眩しいライトのカミヨンバレーが来る。言葉がわからないので「私はリタイヤした
くない!ビバークまで走る!」と必死に身ぶりで伝える。プラスドライバーがあるか
尋ねたが、ないようだ。困った! とにかく、アクセルを戻すことができたので、ば
らしたタンク等を組みたて、再びチャレンジする。しばらく走っていたが登りでスタッ
ク、アクセスも戻らず動かない。夜中12時頃、300kmの地点のところだった。ビバー
クまで170kmがある。そこまで行きたかった。
 後ろにカミヨンバレーが待っていて、結局リタイヤになってしまった。カミヨンバ
レーはバイクを引き上げた。心が痛かった。体力はまだまだあった。ダカールの海を
目指していただけにとても悔しかった。応援を頂いたみんなを思い出す。
 カミヨンバレーに乗ると、他にリタイヤした人も多くいた。朝10時頃、チジクシャ
到着。レース続行ができる選手がもうスタートした。周りはスタッフのみでシーンと
している。これからどうしようか?
 他にリタイヤした人と一緒にタクシーでダカールまで行く事になった。パリへ帰る
人もいる。タクシーは日本では考えられないほどかなりボロい。運転は信用出来なく
て、ちょっと怖い。バイクウェアしか持ってないので、普段の行動には苦しい。途中
で、着替えを購入した。リタイヤした後も何かとお金がかかる。交通費とホテル代、
マシン返還(モーリタニアからパリまで760ユーロ)やら。アフリカの風景はゴミだ
らけでとても汚く、早く日本に帰りたいと思った。2泊3日かけて11日にダカールに到
着したが、ダカールの海を見て改めて悔しくなる。表彰式はメリディアン・ホテルだ。
場所柄を考えると不似合いな高級ホテルだった。もし完走したら、いい気分でゆっく
り休みたい所だと思った。
 VSOという旅行代理店で、早く帰国したいのでフライト変更を希望したが、同日の
時間変更しかなく予約したホテルに泊まる事にした。時間があるので、メリディアン・
ホテルの中でインターネットを見たり、軽食を食べたりとゆっくり過ごした。


スタートから途中40kmぐらいまで昨日と
同じコースだが、轍が増えて更に走りづ
らくなっている。

景色は眺めるだけなら素晴らしいが、実
際に走行するのはもういやと言うぐらい
だった。

マシントラブルし、カミヨンバレーはバイ
クを引き上げて、悔しい。

メリディアン・ホテル。もし完走したら、い
い気分でゆっくり休みたいと思った。



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 宿泊した市内の一流ホテルは、朝食がバイキングで美味い。最終ステージは市内か
ら40kmぐらいの所のラックローズにあるので、タクシーで見に行った。ここでもパリ
ダカの人気はものすごく観客の多さにも驚いた。ゴールまで頑張って来たライダーと
四輪ドライバーの笑顔を見る、素晴らしい。マシントラブルがなれば、ゴールが出来
たはずなのに、非常に残念だ。いつか再挑戦したい。

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 荷物が多くて大変だ。午前11時、ダカールからパリへフライト。パリは霧の為、到
着時間が遅れて午後6時到着。犬飼さんのご主人が迎えに来てくれた。犬飼さんの自
宅へ久しぶりにお邪魔する。パリは寒かった。パリダカの事をいろいろ話をする。フ
ランスのテレビ「フランス3」で自分の事が報道されたそうだ。ビデオの録画がほし
いと思ったが難しいようだ。

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 チャレンジ75に行って挨拶した後、荷物整理をした。カンパを頂いた方へお土産を
購入した。忙しく1日を過ごす。時間があれば、ゆっくりパリ観光をしたかったが。
最後の夜、犬飼さんが作ってくれた鳥の唐揚げをご馳走になる。14、15日と2日間こ
こに泊らせて頂き、心から感謝する。

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 朝、犬飼さん一家と一緒にタクシーに乗ってパリ空港へ。エールフランスで荷
物15kgのオーバーで10万円を要求される。高い。
 「いろいろお世話になりました、本当にありがとう」と犬飼さんに伝える。夏になっ
たら、日本で再会しよう。午後1時15分、空港から飛び立つ。早く日本に着いてほし
いと思うせいか、フライト時間が長く感じられた。

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 午前9時、成田空港にやっと到着、安心する。1カ月ぶりに両親と叔母に会う。残念
そうな顔をしていた。日本食がとても美味い!  
 パリダカに参戦中、全国の新聞に私が載っていたそうでビックリ。日本でも、パリ
ダカの知名度は高い。完走していれば……、何度もそう思った。そして、スポンサー
の方々、関係者の方々、沢山の応援をくださった方々、本当に心から感謝します。

犬飼さん一家です。色々お世話になり、
今でも感謝している。

★まとめ★
 パリダカは大変厳しいレースでした。167人中58人のみが完走、完走率は35%にとど
まりました。2001年12月28日にアラス(フランス)をスタート、欧州ステージを乗り
切り、全14ステージの完走を目指しましたが、2002年1月8日、第10ステージのアタル
−チジクジャ(モーリタニア)間で、マシントラブルのため無念のリタイアとなりま
した。全行程約9400kmのうち、ゴールのダカール(セネガル)まで残りは約2000kmで
した。言葉、自然の厳しさ、アフリカの習慣、コミュニケーション等、いろいろ苦労
しました。サハラ砂漠は砂が本当にサラサラで、これまで経験してきた砂の感触とは
全くの未体験で砂丘越えに苦労しました。これは今後の課題です。でもスケールが大
きく、走りながらその景色に感動してきました。砂漠で四輪の轍があっても、難なく
スピードを出して走れるようになったら、パリダカに再挑戦したいと思います。
 実は帰国後に、2002年全国ろうあ者冬季体育大会(2003年世界ろう者冬季競技大会
選考会)があるため、ラリー中は怪我しないように非常に気を遣っていました。幸い
大きな怪我もなく無事帰国でき、スキートレーニングを開始、練習不足にもかかわら
ずこの大会では思いのほか好成績を収めて、晴れて日本代表に選抜されました。
 アクセルを全開にすると、手首に痛みが出るのでまだ完治していません。思ったよ
りスピードが出ませんでしたが、もとより順位より完走が目標でした。気に入った風
景があれば、バイクを止めて写真を撮ることもありました。
 とにかく過酷なレースで、悪路の連続。気持ちがいいと思えるのはほんの少しでし
た。バイクの技術はもちろん、ウェイトトレーニングで相当身体を鍛えてきましたが、
苦しい場面が続きました。
 アフリカの日中の気温は40℃くらいで、道には転々と動物の骨が転がっていたり…。
気付くと360度見回して自分の周囲に人っ子一人いないなんてことも。行方不明になっ
た時に備えて参加者はビーコンを持つよう義務付けられています。主催者が最大限フォ
ローするとはいえ、「パリダカ」はある意味命懸け。マシントラブルが起きた時に、
対応出来るよう工具を準備しなければならないと思いました。
 体力にはまだ余裕があっただけに本当に悔しい。耳のハンディは感じました。フラ
ンスでは聴覚障害者の「パリダカ」への参加は許されていません。車が追い越してい
く時は、音が聞こえないために横を通るまで気付かないので本当に怖いです。砂煙が
もうもうと立つのでミラーでの確認は難しいです。補聴器をつけてヘルメットをかぶ
ると補聴器の調子がおかしくなったり、耳が痛くなるので補聴器は外してバイクに乗っ
ています。ヘルメットを被ってもちゃんと機能する補聴器が欲しいですね。フランス
人のメカニックとのコミュニケーションは苦労しましたし、通訳者がいた方がいいか
もしれません。資金の問題はあるものの、2年後、再挑戦したいと思います。
 
 本当に応援をありがとうございました。